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4−1.食糧不足の現場の人たちの声
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(1)ジャン・ジグレールさんのエチオピアの話 ジャン・ジグレールさんは、1934年、スイス生まれ。ジュネーブ大学社会学教授、ソルボンヌ大学講師、スイス連邦議会議員等の経歴をもち、2000年に国連人権委員会の「食糧に対する権利」特別報告者に任命されています。 ジグレールさんは、その著書「世界の半分が飢えるのはなぜ?」(合同出版)で、1985年にエチオピアのエリトリア州(1993年に独立)の難民キャンプを訪れたときの様子を、次のように語っています。 |
| 「キャンプでは、エチオピア人の若い看護師が、難民たちを選別する作業をしていた。つくり話みたいだろう?でもほんとうの話だ。エチオピアではたらく国内外の数百人の医師、看護師、ソーシャルワーカーたちのだれもが、命の選別作業をせざるを得なかった。 アゴルダドの難民キャンプに命からがらたどりついた人びとは、特別な栄養食や集中治療を必要とする人ばかりだ。ところが、食糧や医薬品はかぎられた量しかないから、『治療をすれば生き残る可能性があるのはだれか』『治療をしても助けられる可能性がないのはだれか』を見さだめなければならないんだ。 レンガ小屋の前にたたずむ母親たちの胸には、ボロきれにくるまれた幼子が抱かれていた。呼吸とともに、布もしずかに上下している。ここで生と死を分かつ一大芝居がはじまる。 看護師がボロきれをそっとめくると、看護師のかたわらに座っていた女性が幼子を静かに観察し、看護師に向けてときおりなにかサインを送る。すると看護師は幼い体を母親から受け取り抱き上げると、そっと搬送車に横たえる。この車は数キロ離れた病院に向かう。この幼子は治療をしてもらえるのだ−。 幼子の多くは、ビタミンA不足で目が見えないようだった。おそらく脳にも取り返しのつかない障害がおよんでいるだろう。 こういう光景は、父さんもテレビで何度も見ていたよ。そのたびに、「餓死はゆっくりした死だ。衰弱が次第に進み、意識がなくなって苦しまずに死ぬんだ」と自分で自分にいいふくめていたと思う。 けれども!現実はそうじゃなかったんだ。ボロきれの中にかいま見える表情がしわだらけなのは、ひどい痛みのせいだった。小さな身をよじらせ、弱い声で泣いている。選ばれなかった幼子たちに、母親や看護師はそっと顔をおおってやるしかしてやれることはなかった・・・。」 |
| 栄養不足で痩せたニジェールの子供 |
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| Photo: 2005 WFP/Marcus Prior |
| http://www.wfp.or.jp/gallery/photo_gallery.php?id=list4448fd6f78ef2&detail=detail4448fe1bdd650 |
| 「病院の前にはおびえた顔つきの、不安でいっぱいの眼差しをした父親がたたずんでいた。父親の足下には子供がたおれるように横たわっていた。12歳、いや15歳くらいだろうか?手足は極度に細く、クモの足みたいだ。その子どもを目の当たりにしたとき、父さんはおまえのことを思い出さずにはいられなかったよ。 まもなくその病院でたったひとりの医者がやってきて、父親に向かい黙って首を左右にふったんだ。それから、『遅すぎました。お子さんは死の扉を開けようとするところです。』とつたえると、父親の体はワナワナと震えだし、目には涙があふれだしていた。それでも彼は一言も口にすることができず、医者を見つめるばかりだったが、医者はもう一度首を横にふることしかできなかった。 手の施しようがないのだ。父親はその場に泣き崩れ、それでもしばらくすると息子をそっと抱き上げて、病院から去っていった。そうするほかはないのだ。」 |
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(2)2010年のダルフールの話 FAOの2005−2007年のデータでは、スーダンの人口約4200万人のうち、約900万人が栄養不足の状態にあるとされています。 ダルフール紛争は、スーダン西部のダルフール地方の反政府勢力の反乱を契機に、スーダン政府軍とスーダン政府に支援されたアラブ系の民兵組織ジャンジャウィードの反撃が、地域の非アラブ系住民の大規模な虐殺や村落の破壊に発展したものといわれています。国連の推定では、現在までに約20万人の非アラブ系住民が殺害され、約200〜250万人の難民・国内避難民が発生しているそうです。
このたび、ダルフールのモルニ国内避難民キャンプで食糧援助の仕事をしているWFP(国連世界食糧計画)職員の方(ご本人のご希望によりお名前は掲載しません)から、電子メールでのやりとりを通じて、食糧援助の現場についてのお話をお聞きしました。
Q1:モルニ国内避難民キャンプの概要を教えてください。 A1:モルニ国内避難民キャンプは、西ダルフール州最大のキャンプであり、登録ベースで約7万人の国内避難民が暮らしています。モルニには、もともと人口約5000人の村がありましたが、ダルフール紛争により多数の国内避難民が流入してきました。病院は1箇所であり、スーダン政府保健省から派遣された研修医が1名勤務しています。学校は、小学校が14校、中学校が1校あります。小学校のうち12校は、国内避難民のモルニへの流入以降に国際NGOによって作られたものや、UNICEFより資金提供を受けてスーダン政府が建てたもので、いずれも柱と藁葺きの屋根だけの壁のない教室です。 上空から撮影したモルニ国内避難民キャンプ 国内避難民の住居 Q2:受益者の人たち(=国内避難民)に配布する食糧は、一人1日分でどのくらいの量なのでしょうか? A2:WFPでは1日2,100キロカロリーを取れる量が配布の目安になっています。しかし、2,100キロカロリーは、サッカーをやっている高校生やラグビーをやっている大学生(笑)を含めた、老若男女が必要とするエネルギー量の平均であることを考慮する必要があります。 2,100キロカロリーが摂取できる量を仮に100%とすると、100%配布の場合の食糧は、次のようになります。(単位:グラム/日) モロコシ450g、豆60g、植物油30g、砂糖15g、塩10g、CSB16.5g CSBは、Corn Soy Blendという食品で、トウモロコシの粉と大豆の粉を混ぜたものです。 食糧配布量は、いろいろな理由により2008年から減らされており、現在の配布量は50%です。ただし、CSBを配布していませんから、実際は50%を下回っていることになります。現在の配布量は、次のとおりです。 モロコシ225g、豆30g、植物油15g、砂糖15g、塩5g Q3:月並みですけど、食糧援助の仕事をしていて良かったなあと実感するのはどんな時ですか? A3:考えたこともないのですが、多分、子供が学校へ普通に行っているのを見たり、人々が普通に生活する光景を見たりするときだと思います。逆に、その光景を壊さないようにしないといけないとも思います。 Q4:FAOでは、食糧安全保障のために、(1)飢餓に直ちに取り組む緊急食糧援助と(2)飢餓と貧困の根本的原因を除去する中・長期的で持続可能な農業・農村開発による「ツイントラック・アプローチ」の推進が重要だといっています。 ダルフールの場合、「飢餓と貧困の根本的原因を除去」といっても、原因が紛争で、スーダン政府がダルフールの遊牧民の一部を民兵化して農耕民の村落を攻撃したといわれていますから、非常に難しいと思います。 その理解のうえであえて質問ですが、モルニ・キャンプの国内避難民の人たちが、今後、現在の状況から脱却するためには、どうしたらいいのでしょうか? A4:WFPの活動には段階があり、緊急援助が終わったあとは、復興援助というものに切り替わり、さらに開発援助へと続いていきます。復興援助では、単に食糧を配るだけではなく、受益者の活動を伴う活動や、学校給食などが行われます。開発援助では、食糧生産を増やすための援助や水や衛生状況を改善するような援助が行われます。 国内避難民キャンプの住民の多くは、キャンプ周辺に土地を持っていません。よって、復興援助と言っても、そのベースがないのです。しかし、その状況が急速に解決の方向に向くことは考え難いとはいえ、キャンプ住人全員への食糧配給が7年を経た今日、今後の活動方法を考えなければいけない時期に来ています。 例えば、ご紹介したとおり配布食糧も減ってきていますので、モルニでは緊急援助の範疇には入らない学校給食を始めました。これは、単に食糧を配布するというだけの目的ではなく、より多くの子供達が学校へ行き、教育の機会を得られるようにと開始したプログラムです。学校での集団生活を通して、本来、村での生活では備わっていた、共同生活を再構築することにも役立つと思います。 今後のプログラムは、この学校給食のように長期的な視野に立ったものへと変換が必要だと思います。キャンプに今しばらく留まるにしても、別の場所へ移動するにしても、WFPのプログラムを通じて得られた食糧以外の何かが役にたつ、そんなプログラムを展開しなければいけないと思っています。 ![]() |
(3)2009年のインドの話 中学生の頃からの友人で、2009年にインドに駐在していたSutoくんから、次のようなメールをもらいました。(掲載につき、Sutoくんからご了解をいただいています。Sutoくん、ありがとう!) |
| 「人口急増の一因を作っている国、貧富の差が激しくて、『太った金持ち』と『食べるものが何もなく細々と暮らしている人々』が同居している国で暮らしている身としては、実感があります。こちらの貧困層は、道路で暮らしています。哀れみを請うため、子供の手足まで切るほどのようです(食料問題+人権問題)。一方で、経済活性化により何億人もの人の生活水準が上がっており、電力不足が深刻です。おそらく、食料も同様に消費量が増えているものと思います。このように考えると、まさに『Navy blue challenger』が解説している分配/将来の問題の縮図がここにもあるなと思います。」 |
(4)2008年の「アフリカの角」 |
| アフリカ北東部のサイのツノのようにとがった地域は、「アフリカの角(ツノ)」と呼ばれています。ソマリアの内戦、エチオピアとエリトリアの国境紛争などがあり、政情は安定していません。この地域では、長期間続いている干ばつ、紛争、食糧価格の高騰などにより、食糧不足が悪化しています。 国連WFP協会様からご了解をいただき、WFPのホームページ上にある2008年の「アフリカの角」地域の画像を掲載させていただきました。 |
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| 痩せた少年と牛。 |
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| WFP/Peter Smerdon (http://www.wfp.or.jp/gallery/photo.php?year=2008) |
| 雨季が例年よりも短かったため、穀物は不作に終わった。 |
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| WFP/Peter Smerdon (http://www.wfp.or.jp/gallery/photo.php?year=2008) |
| WFPの食糧配給を待つエチオピアの人々。 |
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| WFP/Barry Came (http://www.wfp.or.jp/gallery/photo.php?year=2008) |
| 干ばつの被害に苦しむソマリアの人々。 |
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| WFP/Peter Smerdon (http://www.wfp.or.jp/gallery/photo.php?year=2008) |
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